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その1 現実に徹していること
『クレイジーカンガルーの夏』も『クレイジーフラミンゴの秋』もどちらも超常的なガジェットが登場しない。これは作者も十分承知していることである。(詳しくはGA文庫誼阿古インタビューを見ること)多くのライトノベルには、魔法や超能力、凄まじい身体能力を持っていたり、現実世界にはあり得ないキャラクターが次々登場し、話を展開させていく。しかし、誼阿古の作品には魔法も超能力もピンク髪の美少女もアホ毛も登場しない。出てくるのは、そこらへんにいたであろう中学生や人間。このことが物語に圧倒的なリアリティをつけており、それはライトノベルではほとんど見られないことである。誼阿古がライトノベル的文法で物語を記述していないことは、『クレイジーカンガルーの夏』の母親に会うシーンなどで見て取れる。
しかし、誼阿古は両作品にフィクションを大きく絡ませている。『機動戦士ガンダム』が大きな例で、『クレイジーカンガルーの夏』に巨大なガジェットとして登場する。なぜフィクションを大きなガジェットとして導入したか。私は中学生のアンバランスさの表現のためだと思う。中学生というアンバランスな世界でフィクションは少年たちの現実生活に多大な影響を及ぼしている。その不安定さも計算して、誼阿古は作品を書いたのではなかろうか。